【落語】7月30日 喬太郎の古典の風に吹かれて@紀伊國屋ホール

<演目>
●昼の部
小太郎 「やかん」
対談(喬太郎・小柳枝)
喬太郎 「粗忽長屋
小柳枝 「船徳
〜仲入り〜
喬太郎 「寝床」
15:00-17:22
●夜の部
小太郎 「鷺とり」
対談(喬太郎・雲助)
喬太郎 「ちりとてちん
雲助 「夜鷹そば屋」
〜仲入り〜
喬太郎 「錦木検校」
19:00-21:20


前回は平日の昼夜だったが、今回は土曜日で、しかもゲストが春風亭小柳枝師匠と五街道雲助師匠だということで、昼夜7,000円にも関わらず行ってまいりました。


■小柳枝師匠との対談
小柳枝師匠は、柳昇師の惣領弟子であるが、その前は先代の川崎の柳好師匠の弟子。柳好師匠が体調を崩したので、柳昇師の弟子になった。そのあたりの話や、噺の稽古は柳好師、夢楽師、先々代の柳橋師、当代の可楽師につけてもらった、という話がよかった。協会が違うということで深く掘り下げた話にはならなかったが、喬太郎さんからリスペクトの気持ちが感じられてとても楽しい対談だった。


■春風亭小柳枝「船徳
今席の末広亭と同じ演目。噺が多い師匠だから、多分偶然だと思うけど、半分がっかり。しかし、2度目でもあり、ディテールまで聴けた。喬太郎目当てのお客さんにも評判がよかった様子。よかった。


■雲助師匠との対談
弟子が全員亭号が違うという話から。真打になるということは、一門を構えることだから、との話。つまり、弟子をとれ、ということだと思った。白酒さんが雲助師匠に弟子入りしたのは、雲助師匠が44歳の時。ちなみにさん喬師匠は41歳、権太楼師匠も41歳、圓丈師匠に至っては36歳に初めて弟子をとっている。喬太郎さんも遊雀さんも白鳥さんも既に弟子入りした時の師匠の年齢を越えていることになる。いまだにさん喬、権太楼、圓丈の各師が弟子をとる、というのは逆に不自然か。若手、楽ばかりしているんじゃない!という気持ちを雲助師匠から感じた。

五明楼玉輔を襲名する話があった、という話も面白かった。玉輔の大名跡を継ぐという話を通すために玉輔の遺族に会いにいったら、「一生面倒をみろ」と言われて馬鹿馬鹿しくなって止めたそうだ。柳枝の遺族もそうだったらしいし、馬風師は先代の墓の世話をやっているという話を聞いたことがある。藤浦家は圓朝の名前に億単位の価格設定をしているそうだし、世襲なら誰でもいいという考え方もあるらしい。歌舞伎かよ。バッカじゃないだろか。だから名跡を継ぐ人が減っているし、名前を守るなんて気もないから、実力者が弟子もとらない。なんて考えさせられる対談だった。


五街道雲助「夜鷹そば屋」
有崎勉(柳家金語楼ペンネーム)作の『ラーメン屋』を雲助師匠が時代設定を江戸時代に直した昭和の新作。『ラーメン屋』は先代今輔がやり、最近では古今亭寿輔師がたまにやっている、という噺。古典ではないが、「古典の風を吹かせる」という自信で演じたのではないだろうか。
評判は聴いていたが、本当にいい噺。雲助師匠のハードな語り口ならではの情感を感じ、また待望の初生『夜鷹そば屋』という幸運もあったからか、冒頭の「ばあさん。」から感涙。仲入り後に喬太郎さんから一切の解説がなかったのは、初『夜鷹そば屋』の人には残念だったかもしれない。


今回はゲストのチョイスとゲストの落語で、大満足な会だった。もちろん、喬太郎さんの落語も面白かったですよ(笑)。