五代目柳家つばめ『落語の世界』

落語の世界 (河出文庫)

落語の世界 (河出文庫)

12/19読了
創作落語論』は新作落語ファンはもちろん、古典落語ファンの心をも揺さぶる素晴らしい本であったが、この『落語の世界』はそれより5年前の第1作である。
どんな本であるかは、各章のタイトルを見ると一目瞭然である。
自殺した落語家、入門、楽屋入り、前座の仕事、噺の稽古、下座さん、小言のかずかず、覚えること、二つ目前夜、二つ目の悲哀、迷い、真打、新作落語の苦しさ、古典落語のすばらしさ、評論家、定席天国、噺家の収入、高座のおきて、高座での考えごと、師匠と弟子。
噺家に弟子入りしてから、自分が弟子をとるまでを、自分をも客観視して語っている。
第1章に「自殺した落語家」をもってきて、「落語に淫している」からこそ、辛く理不尽な落語の世界に身を沈めているということを印象づけているのだ。
そして、落語家は収入が少ない寄席を蔑ろにして、ギャラの高い独演会やホール落語に力を注いでいるのではないか、という経済合理性をきっぱりと否定している。
確かに寄席で九時間いて3000円程度の木戸銭では一人の落語家に数十円しかかかっていないことになる。「一人あたり数十円なんですから、一人つまらなくても怒っちゃいけません」というマクラをふる噺家もいる。
橘家文左衛門さんは「稽古は仕事、高座は集金」といっていたが、なかなか厳しい集金の現実だ。
定席はコストパフォーマンスの上で客にとって最善であるはずである。しかし、ほとんどの落語ファンにとって独演会や落語会がすべてであり、定席は「知らない落語家も出る」「落語じゃない色物が多すぎる」「芝浜や文七元結なんて聴けないし、やっても大分削られていて面白くない」という存在である。客を呼ぶための工夫はもちろん必要であるが、定席には落語の世界、落語家の業を感じる最適な場所である。
独演会が落語のすべてではない。しかし定席で長講の完全版を聴くことはまずできない。
この客にとっても理不尽な落語の世界、是非定席で感じて欲しい。なんて思いました。
それにしても、昭和42年当時、落語協会と芸術協会あわせて真打が50人もいなかったということ。文楽志ん生圓生と小さんが定席で競演するのもわかる気がしますね。